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  • 8月4th

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    先々週のこと。
    物置に立てかけたベニヤ板に、
    羽化の途中で力尽きた蝉がいた。
    まだ少し動いていたが、あっという間に蟻の餌食になった。
    最後までふんばれなかったのは、この暑さのせいか。
    近頃ようやく、うちの庭でも、蝉がやかましく鳴きはじめた。

    今年は熱中症のニュースが多い。
    太陽のギラギラ、湿度の高さ、
    街ゆく人たちの姿をみると、まるでバンコクみたいだ。
    乾季のバンガロールより暑さ、不快さは上じゃないかしら。

    インドならば、一番暑い日中の時間帯に
    すきこのんで外出するなんてありえない。
    おてんとさまが頭の上にあるような時間は
    家でおとなしく昼ご飯、木陰でのんびり昼寝だろう。
    アーンドラ・プラデーシュ州の田舎村にいたとき、
    乾季は50度以上のとんでもない暑さだった。
    町が動き始めるのは、日が暮れはじめたころから。
    昼間はすっぱい青マンゴーをかじって、
    じっと日陰で息を潜めていたもんだ。

    東京はアスファルトとコンクリート、
    ビルの照り返しもすさまじく、
    地表近くの空気は50度に近い。
    こないた神保町にいったら、蜃気楼が立ちそうな往来で、
    ベビーカー片手、スタンプラリーに行列する親子連れがズラリ。
    日本ではすっかりベビーカーが当たり前になったが、
    あれって本当に必要なのだろうか。ときどきよく分からなくなる。
    バックで持ち運びされる小犬同様、
    ジリジリうだる道路を行くベビーカーをみるたびに、
    あれは子どもへの虐待では…という気がする。

    暑い日は家や木陰、すこしでも涼しいところにじっとしている。
    雨の日、雨やどりをするように。すぎさるまで、じっと、待っている。
    夕時、ちょっと涼しくなって散歩にいくと、夕焼け空の色にはっとさせられる。
    日本の夕焼けと、赤道に近いところの夕焼けは色がまったく違う。
    いま日本は、熱帯のような暑さだが、この気温や太陽の強さにあわせた
    暮らし方、楽しみ方もきっとあるはず。
    日本人がインドから学ぶことは、こんなところにもある。

    スパイスをきかせたマッジゲ(バターミルク)や、
    塩味のライムジュースが妙にうまい。さすがに青マンゴーはないけれど。
    梅干しをかじって、熱いほうじ茶をやるのも悪くない。
    今夜もヤモリは高らかにケッケッケッと鳴いている。

  • 8月1st

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    南と西側にどどーんと縁側のある我が家。
    日当たり良好。夏場の気温はなかなかのもの。
    去年は縁側に葦簀を立てて日を防ぎ、
    冷房もそんなにいらなかったけれど、さすがに今年は暑い。
    日差しがギラギラなので、葦簀を二重にして、なんとかしのごうかと思っている。

    百日紅
    さるすべり、ってこういう風に書くんだ。「猿滑」だと思っていた。
    この家を最初に見に来たときも夏だった。
    庭はジャングルのように荒れ放題だったが、
    門に立派な百日紅が咲き誇っていた。
    それをみて、いっぺんにここが気に入ってしまった。
    引っ越してきて2回目の夏。今年もちゃんと咲いてくれた。

    くず
    夏場になると容赦なく伸びてはびこる葛やヤブガラシなど蔦の奴ら。
    切っても切ってもトカゲのしっぽのように生えてくる。
    植木の合間からヤブガラシもにょきにょき。今年は蔓や蔦の成長がめざましい。
    目線を下げれば、実写版アリエッティがすぐ作れそう。
    写真は裏山から迫りくる葛の葉の海。

    石畳
    門から玄関までの石畳は、インドの寺院の石床のごとく、そうとう熱がこもっている。
    日に何回か打ち水するも、すぐ蒸発してしまう。
    アッパラム(米のあげせんべい)の乾燥ができるかも…。


    庭の一番奥を開墾して畑にした。
    モロヘイヤ、ズッキーニ、ビートルート、かぼちゃなどが植わっている。
    木立の下にはみょうが。お勝手口の近くには、あしたば、しそ。
    あじさいの近くに、植えてもないのにユリらしき花が咲いている。

    カレーリーフ
    南インド料理にはかかせないハーブ。
    インドから持ってきた種、友だちからもらった種、通販で買った苗……
    いろいろあって、現在9株がすくすく成長中。
    もはや食べきれないので、もう少し株が大きくなったら、
    友だちのところに里子に出そうと思っている。


  • 7月19th

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    7月の日記

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    7/3 トーク+南インド料理「インドさんさん録」。大盛況。料理に気合いを入れすぎて、肝心のトークの準備がおろそかになってしまった。中島岳志さんのように、直前30分でトーク内容を組み立てられるはずもなく、さんざん録だった。今度かこの手のトークをやるときは「多聞のヨタ話」とかにするかな。

    7/4 杉浦康平さんと中島岳志さんの対談トークイベントが青山ブックセンターで。唐草、蔓蔦、木、なめる、闇、見ること見ないこと、須弥山……杉浦さんから見たインド、アジアの世界観。中島さんの絶妙な合いの手(そして、もはやテッパンネタのインド話の数々)が、すばらしかった。ひさびさに面白いトークイベントだった。
    杉浦さんがデザイナーは人と人をつなぐ役、と語っていて、大きくうなづいた。
    ぼくのデザイン事務所の名まえ「Am Creation」の「Am」は、”I am”の”am”でもある。デザインは”I”ではなく、”am”にひそんでいる。私の外にいて、何ものにもなれる存在。何かのアクションを起こしたときに、自分と他者の間に生まれる火花のようなもの。そんな風に本づくりができたら最高だなぁ、といつも思っていた。デザイナーは、五本の指をひとまとめにする掌のようなものと言われ、御大からポンと肩をたたかれたような気がした。
    トーク後、中島さんと一緒にご飯をごちそうになった。杉浦さんは、アジアを代表するデザイナーでありながら、偉ぶらず、ほがらか。たくさん元気をいただいた。工作社の編集者さんいわく、「杉浦さんはいまだに毎回迷いながら本を作っているんです」と。なんてすてきな話だろう。ぼくもずっとずっと迷いながら、本を作るぞー。

    7/10 毎年恒例、若くして亡くなった同級生の墓参り。今年は小学校のときの先生と、友だちと。墓前で缶ビール飲みながら、いつも同じような思い出話をする。そのあと場を移し、同級生の奥さんがやっている居酒屋へなだれこむ。友だちの奥さんが人情屋で、酒を飲みながら何度も泣きそうになる。何十年たってもずっとこの日を大切にしたい。

    7/16 春から習いはじめたヒンディー語の授業。前期終了し、おつかれさん会。まだ全然ヒンディー語のことはわからないけれど、いままでもやもやしていた霧が晴れていく感じ。文字を何度も書いて、自分の体と合わせていく過程は、なんともいえない快感。夏休みの間は、単語の書き取り練習にいそしみたい。

    7/某日 あまりの暑さで、PCがおかしくなる。キーボードさわってもいないのに、「あああああああああああ」とか打たれるポルターガイスト現象。あわてて冷房をつけたら直りました。
    家ではほぼ毎日ドーティー(インドの腰巻き)で過ごしています。宅急便の配達兄さん、最初は怪訝そうな顔して見ていたが、もはや慣れたみたい。夏はよい。

  • 7月1st

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    ヤモリ日記

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    暖かくなって、湿度が出て
    ヤモリの動きが活発になり、うれしい。

    夕暮れから、仕事部屋のすりガラスの窓にペタッと張り付いて、
    部屋の明かりに集まる蚊や小さい虫を食べてくれる。
    日が沈んだら仕事をしない、というのを我が社の目標にしているが、
    ヤモリが窓辺でガツガツむしゃむしゃやっていると、
    もうちょっとがんばってみっか、という気分になる。

    嫌いな人は身の毛がよだつかもしれないが、
    ヤモリの手足のまるっと、ペタッとした感じがすきだ。
    猫のようにだいたり、なぜたい気持ちにはならないが、
    いるだけで、なんか安心する。家守だし。

    このところ、よく窓辺に現れるヤモ子(仮名)は、おなかが大きい。
    窓からすけて、でっぷりした腹がみえる。
    薄い腹の皮からすけて、ぷくぷくした卵がふたつみえる。
    この小さな生き物は、律儀に一回に二個の卵を産むらしい。
    お産のためだろう。食欲も相当だ。
    それが仕事よ、と言わんばかりに、ずっと食べてばかりいる。

    さっき、別のヤモリ、ヤモ男(仮名)がのそのそやってきた。
    ヤモ子が食べようとしていた虫を横から盗み食いしたのが
    カンにさわったのだろう。
    猛烈ないきおいで、ヤモ子は、ヤモ男にかみついた。
    ふくふくと太ったヤモ子にくらべ、ヤモ男は稼ぎが少ないようで貧相だ。
    しっぽを半分かじられて、じたばたしながら逃げていった。

    ケッ、ケッ、ケッと高らかな鳴き声。
    まけるなよ、ヤモ男。

  • 5月22nd

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    音が見える

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    ガタム奏者の久野さんに誘われて、彼のコンサートに行った。

    「ガタム」は、南インドの古典音楽で使われる太鼓。
    見た目はただの素焼きの壺だが、楽器用に焼かれた壺なので、
    乾いた高い音から、しっとりディープな音までいろんな音が出る。
    口琴と並んで、大好きな楽器のひとつだ。

    久野さんは、たぶん本邦唯一のガタム奏者である。
    南インドに足しげく通って、修行して演奏法を体得、
    国内でライヴを多数こなしつつ、ほがらかに暮らしている。
    インド系なのに、うさんくささがほとんどなくて、とってもさわやか。
    いろんな意味で希有な人だ。

    彼の演奏はこれまで何度か聞いていて、
    実家のお店でも前に2回ほどコンサートをやってもらったこともある。
    今回は、「瞑想図」というユニットで、
    シタール(加藤さん)、タブラ(瀬川さん)との三人で演奏。
    北インド古典音楽がベースだからか、これまで聞いたものに比べ、
    ぐっとディープで、スペイシーな感じ。そのふしぎなユニット名の通り、瞑想的な音だった。
    さらに、OHPを使った演出がされていて、古典音楽のコンサートでは珍しい雰囲気。
    試みとしては面白いけれど、職業柄か目から入ってくる情報にひっぱられて、
    なかなか音楽に集中できない。さらにOHPの光がめがねの中を乱反射して気持ち悪かったので、
    いろいろ演出してくれているVJの人には申し訳ないが、めがねをはずして、目を閉じてみる。
    ようやく落ち着いた。

    いままでもあまり意識したことがなかったけれど、
    コンサートでは目を閉じていることが多い。
    目を閉じると、音がくっきりする感じがして、
    ひとつひとつの音のかたちが見えてくる。
    同じ楽器でもとんがったものや、ひらたいもの、波みたいなもの、
    小石みたいにころころしたもの、いろんなかたちが見える。
    音から連想して「想像」しているのとは違う。
    共感覚じゃないけれど、まっくらい中に音がかたちになって
    動き回る様がたしかに「見える」のだ。
    これが気持ちいい。
    インド古典音楽はゆったりはじまり、どんどん複雑になって、
    最後には大きな河の流れになるものが多いから、目を閉じていると、
    いろんなイメージが広がってくる。
    俯瞰しながら、肉薄する。
    加速しながら、濃密になる。
    とても豊かで限りない。
    こればっかりは、たとえ、どんなにCGや3D映像が進化したとしても、
    到底表現しきれない縦横無尽の世界だと思う。

    いつもぼくは音楽に嫉妬している。
    ページをめくると匂いがする本や、
    フレームのなかから歌が聞こえてくる絵、
    よだれが出るようなおいしい言葉のひびき。
    そういうものに憧れている。