Ambooks https://tamon.in アムブックス Thu, 13 Oct 2022 02:11:14 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.9 https://i0.wp.com/tamon.in/wp-content/uploads/2019/06/cropped-logoicon.png?fit=32%2C32&ssl=1 Ambooks https://tamon.in 32 32 163827236 トークショー「紙と本とはたらく」 https://tamon.in/event20221021/ Thu, 13 Oct 2022 02:11:14 +0000 https://tamon.in/?p=6576

あの本、この本はどんな紙でつくられているんだろう? 装丁家、書店、紙商……紙と本を愛する3人がその魅力を語りあう「好き!」がつまったトークイベント

矢萩多聞(装丁家)
山下裕生(竹尾 営業部)                                          中川和彦(スタンダートブックストア店主)

わたしたちは本を読むとき、紙に触れています。

生活のなかで、たくさんの紙を使っています。

でも、紙について考えることはあまりないように思います。

ジャケットカバー、帯、表紙、見返し、本扉、本文ページ……この本になぜこの紙をつかったのか。そこには知られざる物語、つくり手の想いが隠されています。触って、めくって、近づいて、紙の本の魅力を再発見しませんか。

装丁家の矢萩多聞、紙の専門商社・竹尾の営業マン山下裕生、スタンダートブックストア店主の中川和彦の3人が、本と紙について熱く語りあう、本好き、紙好き必見のイベントです。

★オンライン配信あり。来店参加はトークイベント終了後、1Fカフェで懇親会も開催。矢萩多聞がつくる南インド料理家庭料理をたべながら、参加者の方たちとおしゃべりします。



紙と本とはたらく

日時:2022年10月21日(金)19:30~
場所:スタンダードブックストア
大阪府大阪市天王寺区堀越町8−16
参加費:来店参加/オンライン参加 ともに1000円

※来店参加はチャーイ付き

【来店参加】
スタンダードブックストアにて当日参加するか、事前にチケットをお買い求めください。来店参加の方は、読書会終了後、ささやかな懇親会もあります。(トーク+懇親会両方参加は要予約

【オンライン参加】
事前にWEBストアにてチケットをお買い求めください。イベント終了後、アーカイブ映像を視聴できます。
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『美しいってなんだろう?』読書会in大阪 https://tamon.in/event20220704/ Sat, 02 Jul 2022 12:20:05 +0000 https://tamon.in/?p=6553

「美しいってなんだろう?」

ある日、8歳の娘から投げかけられた、なにげない質問から、装丁家はみずからの記憶をたどり、手紙を届けるように文章を書きはじめた。ことばをちいさな舟にして、父と娘が世界のひみつを探る対話のエッセイ集『美しいってなんだろう?』(世界思想社)。その刊行を記念して、読書会+トークイベントをひらきます。

だれしもが美しいものと出会ったエピソードをもっている。子ども時代なにげなく見ていた風景。暮らしのなかのささやかな発見。おもいがけない一言に救われ、ひとふしの歌が生きる糧になる。『美しいってなんだろう?』を読み、考え、この世界の美しさについて語りあってみましょう。90分のトーク+読書会です。


 『美しいってなんだろう?』の原稿を書いているとき、ずっとこの本ができあがって、みんなが読んでくれたら、一緒に読書会をひらきたいな、と思っていました。

 映画を観ておもわずだれかと話したくなるように、本を読んだあと、だれかと話したくときがあります。海外の作家は本が出版されると書店で朗読会をひらきます。自分の本を自分で読むのはすこし気恥ずかしくもありますが、声に出して読むと、読んだ方も聞いた方も、目で追って読んだときとは異なる印象や視点、気持ちをみつけたりするものです。

 父娘の対話エッセイはどのようにして書かれたのか。文章を介して子どもと対話することのおもしろさと手ごわさ、かぎりない可能性について語りつつ、本をまだ読んでいない方も楽しめる内容にしたいとおもっています。

 『美しいってなんだろう?』読書会はじまりの一回目は、大阪・スタンダードブックストアからはじまります。

 平日の夜の開催ではありますが、うだるような暑い夜、夕涼みがてら本を片手におしゃべりしにきませんか。

★オンライン参加の方は、アーカイブを7月末まで視聴できますので、関西圏以外の方の参加も大歓迎です!



今夜は美しいものの話をしよう

『美しいってなんだろう?』刊行記念読書会vol.1
矢萩多聞(画家・装丁家)✕中川和彦(スタンダードブックストア)
日時:2022年7月4日(月)19:30~
場所:スタンダードブックストア
大阪府大阪市天王寺区堀越町8−16
参加費:来店参加/オンライン参加 ともに1000円

※来店参加のみチャーイ、ポストカード付き

【来店参加】
スタンダードブックストアにて当日参加するか、事前にWEBストアにてチケットをお買い求めください。来店参加の方は、読書会終了後、ささやかな懇親会もあります。(こちらは別途要予約

【オンライン参加】
事前にWEBストアにてチケットをお買い求めください。当日リアルタイムで参加できなくても、7月末までアーカイブ映像を見逃し視聴できます。
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生まれ変わった『本とはたらく』 https://tamon.in/news20220529/ https://tamon.in/news20220529/#respond Sat, 28 May 2022 15:35:00 +0000 https://tamon.in/?p=6543  2014年につくった『偶然の装丁家』。

 これはぼくの最初で最後の半生記です。初版から8年という月日が流れても、いまだにこの本を注文してくれる書店さん、読んでくださる読者のひと、友だちにいいよ~と薦めてくださるひと、がポツポツとあります。ほんとうにありがたいことでした。

 その一方、版元晶文社では在庫切れのまま、増刷してもらえず、ついに絶版という扱いに……。読みたくても手に入らない、という声も聞くようになって、これはどうにかしないといけないなぁ、と思っていました。

 そんな矢先、河出書房新社が声をかけてくれました。当初は文庫で出す案もあったのだけど、単行本で出し直すのもいいんじゃない? ということで、タイトルも装丁も変えて、新章(なんと3.5万字、書きすぎ!)を書き下ろし、あたらしい本として刊行されることになりました。

 生まれ変わった本のタイトルは『本とはたらく』です。

 このタイトルについて、ぼくは本書のあとがきでこのように書いています。

 『本とはたらく』は文字通り、本をつくる、届けることを生業にしているぼくの物語だが、それだけではない。「本」と「はたらく」の間には、数え切れない人たちのちいさな物語がひしめきあっていて、その分母はとてつもなく大きい。あくまでも本は媒介でしかなくて、ぼくが語りたいのはいつも「人」のことだ。
 生きている人も亡くなった人も、子どもも大人も、一見すると本づくりとは関係のない仕事についている人たちまで、あらゆる営みが本をつくる力になっている。デザインや本の話にとどめず、『本とはたらく』が自分たちの生活の地続きにあるんだな、と少しでも感じてもらえたらうれしい。

 『偶然の装丁家』を読んだ人も、読んだことのない人も、本づくりなんて興味ない人も、みんなに読んでもらいたい一冊です。

 自分でいうのもなんだけど、めっちゃおもしろい。損はさせません。三十代から四十歳までのぼくの熱がぎゅーっとつまって、文章からあふれています。たぶんもうこういうものは書けないんじゃないかな。

 ちなみにあたらしい装丁では、漫画家の香山哲さんがイラストを描いてくれました。ぼくは彼の漫画『ベルリンうわの空』が大好き。まさか香山さんの描く世界に自分がはいりこめるなんて! うれしすぎます。絵のなかには、ぼくやそのまわりで生きる人達の姿も見つけられます。

 かんたんですが公式サイトも公開しました。本のほうはAmbooksのオンラインストアでも取り扱いスタート。サインとポスカード付き、しばらく送料無料キャンペーン中なのでちょこっとお得です。どうぞよろしくお願いします。


『本とはたらく』

http://tamon.in/book/honto/

 

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https://tamon.in/news20220529/feed/ 0 6543
新刊『美しいってなんだろう?』 https://tamon.in/news20220519/ Thu, 19 May 2022 13:30:04 +0000 https://tamon.in/?p=6531  あたらしい本、『美しいってなんだろう?』が世界思想社より出版されます。

 この本は京都の出版社、世界思想社のwebマガジンで、ここ二年間ほどかけて、ぼくと娘のふたりで連載していたエッセイがもとになっています。

 ぼくがインドや日本で美しいと感じた瞬間、風景、ひと、モノ、ことば、音……にまつわるエピソードをつづり、それを読んだ娘のつたが、アンサーのようにつぶやきを返す。そうして、13のちいさな物語を書きました。とちゅう、何度もなげだしそうになりましたが、こうしてかんじのよい、かわいらしい本のかたちにおさまって、うれしいです。ぼくがこれまでつくった本のなかでもぐんを抜いて美しい本です。

 公式サイトでは「はじまり」が読めるほか、各章からの引用と写真、さまざまな方たちからの推薦コメントなども掲載しています。

 また、初版100部限定で、特装版もつくります。(なんと100部、一冊一冊みんなデザインが違う特製ジャケットにつつまれています! ほかにも特典がてんこもり。超お得です)
こちらはすでにたくさん注文いただいていますので、気になる方はお早めにご予約ください。もちろん、通常版も全国書店にて発売しますので、どちらもよろしくお願いします。




矢萩多聞、つた(世界思想社刊)
2022年5月30日発売

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トーク「本はだれでもつくれるよ」 https://tamon.in/e20210515/ Tue, 20 Apr 2021 17:13:30 +0000 https://tamon.in/?p=6495

5/15、東横線妙蓮寺駅の近くにある古民家で「妙蓮寺 本の市」というブックマーケットが開催され、その市の後にお話会をすることになりました。

じつは、この日の会場である古民家は、ぼくが横浜に暮らしていたときの元・自宅なのです。だいぶ前にイベントスペースになったとは聞いていましたが、まさかここでイベントをやることになるとは。この家には楽しいことも辛いこともいろんな思い出がつまっているので、なかなか足をふみいれることはありませんでしたが、今回、妙蓮寺の本屋・生活綴方とそのゆかいな仲間たちからの熱烈なご依頼をいただき、重い腰をあげることになりました。

トークのタイトルは「本はだれでもつくれるよ」。

いつのまにか、本のデザインが本業になってしまいましたが、ぼくはもともと本の嫌いな子どもでした。そんなぼくが、いまでは年間数十冊の本をつくり、小学生の子どもたちと一緒に本や文字をつくるワークショップをやっています。

「本をつくる」というと、出版社にしかできないオオゴトのようにも聞こえますが、ほんとうはだれもが本をつくれるとぼくは思っています。そのためには、まず自分たちの「本ってこんなものだ」という思い込みを手放し、「もしも、この地球に本が存在しなかったら……」という話からはじめなくてはいけません。生活のなかでパンや味噌をつくるように、本づくりはやってみると、思っていたよりかんたんで、手強くもあり、奥が深く、楽しいのです。

本づくりワークショップ、紙づくりの現場、リトルプレス、支援学校やオルタナティブ・スクール、インターネットラジオ、インドの伝統人形劇……ちかごろ興味のおもむくままつまみ食いして出会った人、コト、ものがたりを、スライドなど見せながら、くすっと笑ってしまうようなエピソードを、ひとり語りしようと思っています。

★新型コロナウィルス感染拡大状況により、本イベントは開催当日までに中止またはオンラインのみの開催となる場合があります。その場合のチケット種別の変更またはキャンセルにかかる払い戻しの手数料等はかかりません。

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「タゴール・ソングス」上映トーク https://tamon.in/e20200802/ Mon, 13 Jul 2020 16:24:46 +0000 https://tamon.in/?p=6481

インドが世界に誇る詩人ラビンドラナート・タゴール。激動のインドを生き抜いたタゴールがつくった歌=タゴール・ソングスはインドやバングラデシュで、いまも人びとに深く愛されています。百年以上のときを超えて、歌と人とのかかわりを紡いでゆく音楽ドキュメンタリー『タゴール・ソングス』、その上映が、京都・出町座ではじまります。

ぼくが今年みた映画のなかで、もっともすばらしいと思った一本です。感動のあまり、映画の推薦のコメントも書きました。

タゴールの詩を巡るドキュメンタリーかと思って観たけど、全然ちがった。
生活に歌があふれ、歌が人をむすび、人が町を色づける。出会いと別れ、笑いと涙の物語がつまってる。この映画自体がタゴールの詩なんだ。
コロナウイルスの感染に怯え、情報に疲れ、政治に落胆し、だれもが不安な夜をすごしている、この2020年に向けてタゴールは歌っている。出口の見えないトンネルのなか、口をついて出る歌がぼくらにもあったらどんなに救われることか!(矢萩多聞)

インドやタゴールに興味のない人にもぜひ見てもらいたい。ドキュメンタリーって退屈でしょ? と思っているひと、だまされたと思って、映画館に足を運んでほしい。大きなスクリーンでバングラの美しい農村風景を見て、よい音響で数々のタゴールの歌を聞いてほしい。めっちゃ元気がでますよ。

佐々木美佳監督には、じつはぼくのやっているWEBラジオ「本とこラジオ」にも出演いただきましたが、京都での上映にあわせて、なんと劇場上映後のアフタートークにぼくがしゃしゃりでることになりました。コロナ感染対策であまりたくさんの席はないようですが、ぜひ、この機会に映画館に足をお運びください。

『タゴール・ソングス』公式サイト
http://tagore-songs.com

「本とこラジオ」佐々木美佳監督インタヴューの回
https://www.youtube.com/watch?v=0z3T2rbXGBw

出町座
https://demachiza.com/

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「日めくりと私」展+トーク https://tamon.in/e20200215/ Sat, 08 Feb 2020 09:26:34 +0000 http://tamon.in/?p=6324

「ちいさくつくり、ちいさく届ける」を旗印に、ぼくがほそぼそとつづけているちいさな出版レーベルAmbooksで、昨年秋、あたらしい本をリリースしました。佐々木未来さんの『日めくりと私』もそのひとつです。

佐々木さんはふだんはデザイン事務所に勤めながら、一日のおわりに日めくりカレンダーをぴりっとやぶき、そこにイラストを書く、ということをだれに頼まれることもなくつづけているひとです。カレンダーは、だれしも一度は目にしたことはあるような、普通の市販の日めくりですが、印刷されている数字や文字をたくみにつかって、ときには切ったり貼ったり塗りつぶしたり……ぺらぺらの四角の紙にちいさな宇宙が広がります。

彼女が描きためた4年分のなかから2018年度の365日を2冊の文庫本にまとめたのが『日めくりと私』。これは楽しいイラスト集でありながら、彼女自身の日記ともいえます。何かの記念日であったり、その日に出会った本やイベントが描かれている。まさに暮らしのなかから生まれてきたもの。フォーク・アートみたいだなぁ、と思います。

このたび、横浜の出版社・三輪舎の中岡さんのお誘いで、妙蓮寺の石堂書店内にある「本屋 生活綴方」で彼女の日めくりカレンダーの展示が開催されることになりました。
2/15は佐々木さんとぼくがトークイベント+サイン会。どうしてこんなおもしろいことをはじめたのか、毎日ネタはつきないのか、どんな画材をつかっているのか……などなど聞きたいことはたくさんあります。
ただ話を聞くだけではなく、家に帰ったら自分もなにかやってみたくなるような、そんな集いにできたらと思います。

妙蓮寺は京都で暮らす前、2006年から2012年までを暮らした懐かしい町。古巣の商店街の本屋さんでイベントできることもうれしい。当日はAmbooksの本も販売します。ぜひみなさん遊びにいらして下さい。

佐々木未来 『日めくりと私』展
https://tsudurikata.life/event/63/

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美しいってなんだろう https://tamon.in/n20200108/ https://tamon.in/n20200108/#respond Sat, 08 Feb 2020 08:11:19 +0000 http://tamon.in/?p=6312  去年、『文化人類学の思考法』という本の刊行イベントがきっかけになって、京都の学術出版社、世界思想社の望月さんから「インドの美を語るフォトエッセイを書きませんか」と依頼をいただいた。世界思想社というとお堅い出版社のイメージだったけれど、もうすこしやわらかいところで「せかいしそう」という新しいWEBマガジンをはじめるから、そこに掲載してくれるのだという。

 インドの話はいくらでもできるし、へんてこな写真もいろいろあるにはあるが、あちこちに書き下ろし本の原稿をおまたせしているぼくとしては、ほいほいと依頼をうけるわけにはいかない。何人もの編集者の顔が思い浮かんで、はじめはお断りしようと思っていた。しかし、「気分転換にどうですか?」と連載をすすめてくる望月さんと話しているうちに、写真メインで1000字くらいの短文ならばやれる気がしてきた。

 トークイベントや書店で自分のことを話してきたが、思い出話ではなく、いま直面している問題や関心事や、思い浮かんだ風景をぱっと書きとどめておく場所があったらいい。それもぼくのひとり語りではなく、8歳の娘もまきこんで、対話のような、往復書簡のような連載はできないだろうか。企画はころころ転がり、気がついたら連載をやることになった。

 「美しいってなんだろう?」というタイトルはすぐに浮かんだ。
平野甲賀さんのパートナーの公子さんが「わたしたちはどんな本も催しものも、しっくりくるタイトルが決まって、甲賀さんが字をつくれば、もうできたも同然って気になるのよ」と、言っていたのを思い出した。
ここでどんなものを書いたらいいのかはわからない。でも、序文の第0回の文章にあるように、「流れゆく雲のようにあてどもないものを書こう」と思っている。ぼくの文章に娘がどのような感想やつぶやきを寄せるかも、はじめてのことでドキドキである。

 

 つねにストックのある状態ではじめたいから、原稿は夏ごろからすこしずつ書き始めた。第1回はネパールの話にしようとなんとなく決めていたので、横浜の実家に連絡して、母に昔の写真を送ってもらった。10月、ワークショップや出張の合間をぬって、ちくちく原稿を書いた。8割方できあがって、あとはざっと直して、すぐ編集部におくるつもりでいた。

 高松の瀬戸内アートブックフェアでの出展を終えて京都に戻ってきた翌日。借りていたレンタカーを返す途中、追突事故にあった。ぼくの車は完全に停止していたのだが、後ろからきたトラックが止まりきれずドーンとぶつかったのだ。警察や保険会社、レンタカー屋などと話しているときはハイで分らなかったが、帰宅すると首背中腰が鉄板を背負ったみたいに重く痛い。ムチウチみたい。その日はすぐ寝て、翌日もしんどくて昼近くまで横になっていた。まどろみのなか、電話がバイブモードで何回か鳴っている。とれないままでいると、そのあと妻のところにもかかってきて、すぐ起こされた。電話はインドの友人からで、今日の朝ぼくの母が倒れたという報せだった。

 それからの日々は断片的にしか思い出せない。まず、ぼくと兄がインドに飛び、遅れてぼくの家族、兄の家族も来た。いくつか回復のチャンスもあったが、いろんな条件が許さず、母は11月8日に息をひきとった。ヒンドゥー式の火葬で荼毘に伏し、母の荷物を整理して、面倒な手続きをして遺骨を日本に持ち持ち帰るまで1カ月がかかった。ずっと長い夢を見ているようだった。

 日本に帰ってきて、ぼんやりとした日々をおくっていたが、なんとか「美しいってなんだろう?」の第1回を書き上げようと何度もパソコンを開いた。
はじめて訪れたカトマンドゥのことを書こうと思っているのに、母のことに話が寄っていってしまう。1行書いてはいろいろなことを思いだし、1行消して、また1行書いて……文章はまったく進まなかった。母についてはエピソードがあまりにも多すぎる。追悼文のようなものも書く気にはなれない。悩んだ末、大筋は彼女が亡くなる前にぼくが書いていた文章をそのまま使うことにした。語りきれていない気持ちはあるが、たぶんいまは、どんなに書き直しても納得いく文章にはならないだろう。

 娘はぼくの原稿を読んで、すてきなコメントを返してくれた。あかねさん(ぼくの母)のことは書かないの? と聞いたら、「みじかくは書けないし、何日かかるかわからないから」と娘。ぼくもおなじ気持ちだよ、といった。
娘は母が亡くなった後すぐに、インドの家で風邪をひいて寝こんでいたのだが、熱が下がりはじめると寝床に寝転がったまま、猛然としたイキオイで日記を書いていた。書いては消し、消しては書いて、三日後、日記帳をぼくに見せてくれた。そこには自分が祖母の報せを聞いて、インドにきて、病院に見舞い、お別れをして、火葬されるまでの数日間のことが、彼女の目線で、静かに素直に書かれていた。祈りに満ちたすばらしい文章だった。

 母が亡くなったことをずっとWEBでは書いてこなかった。なぜか書けなかった。仕事や付き合いの上、告げる必要があるごくわずかな人にしか、まだ知らせていない。失礼があったかもしれないけれど、どうか怒らないでほしい。これについては、ゆっくりやっていこうとおもう。
日本では葬式を行わないので、母が最後に仕入れていたものを並べて、お別れ会を実家のお店でやろうと思っている。お客さんにはそれぞれ手紙でお知らせするつもりでいる。

 おもいがけず、「美しいってなんだろう?」のスタートはこんなふうにはじまった。
いろんな気持ちがいったりきたりする第1回となったが、読者から嬉しい感想が届いて、しんどかったけど書いてよかったなあ、とおもっている。素焼きの広場の写真は当時のぼくが撮ったもの、バングル屋の写真は一昨年バンガロールに来てくれた三輪舎の中岡さんが撮ったもの。後者の写真も後ろ姿だか母が写っている。
毎回の原稿料は山分けすることにしたので、娘はほくほくだ。「学校行っていないけど、原稿書いてるんだから!」と鼻の穴をふくらましている。
これからも月1回、まぶたの表と裏を行き来しながら、いくつもの窓を開け、娘とともに美しい風景を見つめていきたい。


美しいってなんだろう

web せかいしそう

第0回 美しき「問いかけ」 2019.10.18
第1回 美しき「カトマンドゥ」 2020.1.31

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https://tamon.in/n20200108/feed/ 0 6312
おかえり https://tamon.in/s005/ Mon, 06 Jan 2020 07:27:16 +0000 http://tamon.in/?p=5908

 うちの娘(8歳)は「男はつらいよ」が好きである。いや、ただしくは車寅次郎を愛している。

 

 いま住んでいる家はアンテナとテレビがつながっていないが、まだ娘が2、3歳だったころは、団地住まいで地上波とBSがみれた。

 ある年、BSのチャンネルで「土曜は寅さん」と題して、毎週末「男はつらいよ」を放送していた。ぼくも妻も娘にはあまりテレビを見せてこなかったが、寅さんは別格。土曜日の晩、家族三人でテレビを囲むのが定番になった。

 ふり返って考えると、これがまずかった。生まれたてのひよこが最初にみたものを親と思いこむように、娘は車寅次郎を初恋の男として認識してしまったのだ。

 娘はテレビに渥美清が映ると画面にぶちゅーとキスをする。

 画用紙とクレヨンで「男はつらいよ」の紙芝居を自作する。それも、夢のシーンからはじまり、旅先で美人のヒロインと出会い、柴又に帰ってきて、おいちゃんたちと喧嘩して家をとびだして、妹のさくらが「いかないでお兄ちゃん」と駅までおっかけてくる……という物語の定石がちゃんと再現されている。

 家族で鳥取砂丘にいったときは、何度も「男はつらいよごっこ」がくりひろげられた。もちろん娘の役は寅さん。ぼくは砂にまみれながら、砂丘を転げた。

 幼稚園で先生が子どもたちに「好きなものはなんですか?」ときいたとき、他の子が「プリキュア!」「ワンワン!」などというなか、うちの娘は迷いもせず「寅さん!」と答えたそうだ。園児たちはもちろん、若い先生はぽかん。
「動物のトラが好きなの? しまじろうではなく?」
と先生に聞かれ、
「寅さんは寅さんでしょ!」
とご立腹の娘。彼女にとって、寅さんはまぎれもない永遠のアイドルなのだ。

 BSの放送が終わってからは、録画した全49作を何周もくり返し見る日々が続いた。

 しかし、「男はつらいよ」ばかり見せているのはよくない、と思ったぼくは、マキノ雅弘監督の名作「次郎長三国志」シリーズを娘と一緒に見た。渡世人・寅さんがなぜあんな生き方、立ちふる舞いをしているのか、そのルーツともいえる次郎長一家の物語は「男はつらいよ」の次に見るべき映画だと思ったからだ。

 はじめは白黒映画に
「なんで色ついてないの?」
といっていた娘だったが、一本見終わるころには、次郎長とそのゆかいな仲間たちが奮闘する旅股任侠活劇にすっかりはまり、テレビをつけるたび、寅さんと次郎長を交互に見たいとねだる三歳児になってしまった。

 彼女のお気に入りは森繁久彌演じる森の石松。幼稚園の園庭の砂場で
「バカは~しななきゃなおらない~♪」
と浪曲師・広沢虎造のだみ声を真似して遊ぶ姿に、先生たちはさらに心配したことだろう。

 そんな彼女に一世一代というべき晴れ舞台がまわってくる。友人の結婚で沖縄に招かれたとき、式の余興として「男はつらいよ」の口上と歌を披露することになったのだ。

 せっかくだから、帽子やカバンを用意して寅さんの姿でやったら?とぼくが提案すると、彼女はぶんぶんと頭をふった。

 「恥ずかしくてできない」

 たくさんの人の前でやるから恥ずかしいのかと思ったら、そうではない。彼女にとって寅さんは実在の人物でいまも日本全国を旅している。結婚式場に旅の途中の寅さんが立ち寄ることがあるかもしれない。自分の姿を本物の寅さんに見られたら恥ずかしい、というのだ。

 ぼくは娘の寅さんへのまっすぐすぎる愛に脱帽した。

 それ以来、わが家では車寅次郎が実在するか否かは、サンタクロースよりもセンシティブな話題となった。

 

 じつは、ぼくも個人的に「男はつらいよ」には少なからぬご縁と親近感をかんじてきた。

 

 「男はつらいよ」誕生秘話には諸説あるが、当初、山田洋次監督は物語の舞台をどこにするか選びあぐねていた。

 だが、かつて彼がつくった映画「下町の太陽」の原作者である作家・早乙女勝元さんに、柴又帝釈天やだんご屋を案内してもらい、いろいろな下町話を聞いたことを思い出し、舞台を柴又に決定したそうだ。

 柴又の町を歩きながら二人がどんな話をしたのかは、いまとなってはわからない。だが、だんご屋の隣に活版印刷所があり、隣人のタコ社長が勝手口から毎日やってくるという設定も、このとき生み出されたのでは、とぼくは想像している。

 世間ではほとんど知られていないことだが、早乙女さんの義理の父は横浜の印刷所、野毛印刷の社長である。この人は戦中一旗あげるべく単身大陸に渡り、戦後シベリア抑留を経て帰国、社会主義にかぶれたアカと揶揄されながらも、類い希なる商才を発揮し一代にして印刷所を興した。とても博学で先進的、親戚一同からは「山の叔父さん」と呼ばれ尊敬されていた。

 それだけの反骨精神とバイタリティで戦中戦後を生きぬいた山の叔父さんのことを、早乙女さんが山田監督に話さないということは考えづらい。映画のなかで、タコ社長はデリカシーがなく、すぐのぼせあがる零細町工場のオヤジというキャラクターになってはいるが、もしかするとその着想のもとは野毛印刷の社長だったかもしれない。

 なんでそんな細かい裏話を持ち出したかというと、じつはこの野毛印刷社長はぼくの祖母のいとこなのである。

 遠い親戚とはいえ、子どものころ祖母につれられ墓参りにいくと、曾祖父母や先祖代々の墓のあと、野毛印刷社長の墓にかならず連れて行かれた。

 「山の叔父さんはほんとうに頭の良い人だったから、タモちゃんもあやかりなさい」

 墓前で祖母はいつも線香の煙を手でふわふわとぼくの頭に送ってくれた。
大人になって、早乙女さんと山田監督の話を知ってからというもの、タコ社長やその印刷所をみるたびに、ぼくの先祖と寅さんの物語はつながっているかもしれない、と勝手に胸の奥を温めていた。

 

 さて、前置きがやたらながくなったが、ここからが本題。

 2019年の年末、「男はつらいよ」の新作が公開された。49作目で終わったはずのシリーズが22年ぶりに復活するのだから、ファンとしては喜ばずにはいられないニュースだが、ぼくは微妙な気持ちでいた。

 渥美清さん亡きいま、寅さんの不在はどう描かれるのか。ぼくも妻も、渥美清が亡くなったことは娘にずっと言えないでいる。だからどんなにせがまれても、実際に柴又を訪れることだけは避けてきた。
50作目のサブタイトルは「おかえり、寅さん」。4Kデジタルリマスターした過去の映像を交え、現代を生きるさくらや満男のその後を描いた作品だという。

 万が一、劇中で仏壇に寅さんの遺影があったり、あんないい人だったのに死んじゃったね、みたいなシーンがあったらヒジョーにまずい。

 なにせテレビ版「男はつらいよ」最終回では、ハブに噛ませ寅次郎を死なせた山田洋次監督だ。なにをしでかすかわからない。妻と協議した結果、まず、ぼくひとりで観て確認した上で娘を連れて行こう、ということになった。

 2020年1月1日元旦、映画館へ向かう。

 「男はつらいよ」はかつて日本のお正月映画の定番。今回の新作を見るならばぜったい元旦だ、と心に決めていた。客席は満席ではないが、50~70歳代を中心に8割ほど埋まっている。

 映画がはじまり、松竹の富士山がスクリーンに映し出された時点で、不覚にもうるっとしてしまった。松竹配給の日本映画を映画館でみるなんて、いつぶりだろう。

 オープニングでおなじみのテーマ曲を河原の土手で桑田佳祐が歌う。なんでこいつが……と思いながらも、スクリーンに大映しになった寅さんを見た瞬間、涙がどわっとあふれてしまった。まだ物語ははじまってもないのに。

 その後はもうだだ漏れ。懐かしい人たちがつぎつぎとスクリーンに現れ、くるまやの居間に集まり、寅さんの思い出話をする。

 この映画をはじめて見た人が楽しめる内容かはわからない。それでも、49作をくり返し見てきた者にとっては、盆暮れが同時にきたようなうれしいシーンの大盤振る舞い。財布を逆さにふってもなんもでねえが、涙と鼻水は売るほどあるんだぜ、とよくわからないことを口走ってしまうほど、泣き、笑い、震える。

 CG合成で幽霊のように寅さんが浮かんだり消えたりするシーンはちょっとやりすぎだと思ったが、さくらはいつ兄が帰ってきてもいいように、二階を片付けている、とつぶやく。だれも寅さんが死んだとはいわない。ほっとした。これならば、わが娘にもみせられる。

  「おかえり、寅さん」。これは再会と不在の物語だ。

 20年以上の時を経て、家族や仲間が再会し集まって、団欒をかこむ。最初はしわしわに老けたなぁと思って見ていた登場人物たちが、若いときの口調に戻っていく。小学校の同級生に会うと、当時の歳に戻ってしまうような、あの感覚にも似ている。

 そこには不在の人もいる。おいちゃん、おばちゃんは仏壇の額縁のなかで微笑んでいるし、かのタコ社長はあがりかまちに腰かけてはいない。

 だが、不在の人たちがいいそうな台詞を、生きているほかの人たちが無意識に口にする。タコ社長の娘のアケミちゃんは、タコばりにデリカシーなくのぼせあがるし、妻思いだったひろしがおいちゃんのようなふてぶてしさを見せる。さくらはおばちゃんのようにいつも夕食や布団のことを気にしている。満男は寅さんだったらどうするかということを考えているし、その一人娘ゆりちゃんは、寅さんをやさしくたしなめる若いころのさくらそっくりだ。

 死者たちは不在なのではなく、生者たちのなかに生きている。むしろ、死者たちが大小のかけらとなって、生者をかたちづくっているといってもいい。AIでもCGでもなく、生者たちの口から語られるからこそ意味がある。

 

 それは昨年11月に母を亡くしたぼくには、切実でリアルな感覚として、ずんずんと胸に迫ってきた。
母とぼくの娘はまるで鏡のようだ。

 のりものにのるとおしゃべりになるところ。買い物好きでいつも誰かにプレゼントするものを探しているところ。いったん思いこむとまわりの声が耳にはいらなくなるところ。だれとでもすぐ友だちになってしまうところ。……親子であるぼくよりも、祖母と孫である娘のほうが性格が似ている。

 いまも、娘が話すことばや、しぐさ、ちょっとしたリアクションから、亡き母を思い出すことがよくある。

 おおきな事件は起きない。はり巡らされた伏線もない。たんたんとみなが寅さんについて思い出話をする。それだけなのに、映画館から家にむかう帰り道、胸がぽかぽかする。ふしぎな作品だ。
「おかえり、寅さん」という副題のとおり、22年間、寅さんはスクリーンに不在だった。しかしそれは煙のように消えてなくなったわけではなく、ぼくら自身が見失っていただけだ。

 そういえば、娘が3、4歳のころ、鴨川の河川敷で寅さんの後ろ姿をみかけた、といっていた。

 いまもあらゆる町角に、河原の土手に、縁日の神社に、駅のホームに、寅さんはいる。もう一度それを見つけるためにも、また過去49作品を親子で見返そうと思った。

 これはまったくの余談だが、この「男はつらいよ」第50作目の劇中、個人的に震えまくった箇所がある。

 小説家になった満男が書店でサイン会をするシーン。ロケ場所は八重洲ブックセンター。ここで多くの観客は、満男とかつての初恋相手・泉ちゃんの再会に固唾をのむとおもうが、ぼくの目はその背後の書棚に釘づけになった。自分が装丁して文章も書いた本が映っている! 驚きのあまり気が動転して、すこしの間ストーリーがまったく頭に入らなくなった。

 物語とはまったく関係がないし、カメラのピントがばっちり合っているわけではないのだが、大好きな映画のなかに、自分がつくった本が存在しているなんて光栄の至りである。(どの本なのかはここで書かない。ぜひ劇場の大画面で確認してほしい)

 ありがとう八重洲ブックセンター! ありがとう山田洋次監督!

 元旦からすばらしいお年玉をもらいました。

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いつも声を聞きながら https://tamon.in/s004/ Mon, 30 Dec 2019 16:40:04 +0000 http://tamon.in/?p=5896

 人の声が好きだ。仕事机に向かうときは、いつもラジオか音楽をかけている。歌詞のある曲やおしゃべりを聞きながら文章は書けないが、デザインや絵は脳の違う部分が動いているのか、人の声が耳にはいったほうが調子がいい。
ときには、ことばにひっぱられたり、励まされたり、気持ちが高揚したりする。でも、作業に集中していると、ことばの意味はまったく耳に入らなくなる。屋根に響く雨音みたい。ただそこに降っているだけ。

 かつて訪れたとある印刷所に、かろうじて遺された活版印刷部があった。大きな印刷機を前に、長老のような職人さんがひとり。タバコをスパスパ吸いながら、恐ろしいスピードで版を組んでいる。うす暗い部屋には裸電球が灯り、机に散乱する活字、ただよう紫煙、ラジオからは野球中継。これぞ昭和の男の仕事場! まるで映画のワンシーンのようだった。

 印刷所にかぎらず、紙工房や製本所など、ものづくりの現場で、ラジオがかかっていたのを覚えている。テレビはなくてもいいが、ラジオがなくなったら困るという人は多いはずだ。
どうしても聞かなきゃならない内容ではないのに、かけていないともの寂しい。思いがけず、はっとさせられることもある。その存在感は本ともすこし似ている。

 ぼくは本をデザインするとき、下書きやラフスケッチにとりかかる前に、まずその本のテーマ曲を探すようにしている。

 たとえば、1920年代アメリカを取り上げた社会学の本ならば、その時代につくられた曲を聞く。アフリカのエスノグラフィーの本ならば、フィールドとなっている国の音楽を聞く。小説やエッセイでも同じ。邦楽、洋楽、中央アジアのハードロック、イスラエルのポップス、戦前日本の歌謡曲、中南米のカリプソ、北欧のヨイクまで、節操もなくかたっぱしから聞きまくり、本にあう音が見つかるまで、地球を何周もする。

 映画のイントロで、音楽が映像の糸口をたぐりよせるように、音楽を聞きながら手を動かしていると、おぼろげだった本のかたちが輪郭をおびてくる。自然とページの構成が見え、レイアウトが生み出される。
逆に色や書体や紙の手触りから音を感じることもある。そういう意味では、常になにかを聞きながら仕事をしているのだ。

 横浜の実家の近所にラーメン屋がある。子どものころ、「外食」といえばだいたいこの店だった。
昨今のラーメンブームとは無縁。醤油香る澄んだ油スープ、ちぢれた細麺、きざみネギ、メンマ、ナルト、チャーシュー……という昔懐かしのラーメンを「しなそば」という呼び名で、愚直に提供しつづけている。特別なものはなにひとつないが、ときどき無性に食べたくなる。

 店主はラーメンと同じく多くを語らず、いつも黙々と中華鍋をふるっているが、お客さんが会計を終え店をでるとき、きまって厨房の奥からガオーと吠える。

「ありがとうございました」

 といっているようだが、50音ではどうにも表現できない。
アルファベットならばすべての子音にHの音と、濁音が混ざってるような独特の発声。やはり「吠える」というほかない。
気密性の高い部屋のドアを開けたとき、ブワーッと外の空気が流れこむように、厨房の方から、巨大なうなぎのかたちをした音のかたまりが吹き抜ける。
ラーメンを食べたあと、その声に背中をにゅるっと押し出され、店を出て、暗い夜道をてくてく家に帰る。すっかりあったまったからだに、夜風がきもちいい。
そのひとつながりが、ぼくにとっての「ラーメン」という体験だと思っている。

 1日3時間。日本人がスマホの画面を見ている平均時間だそうだ。

「インド映画って長いんでしょ?」

 と半笑いで訊かれることがよくあるが、そんなこという人たちが、こま切れであれ、長めのインド映画を一本観るくらいの時間をスマホに費やしている。年間に換算すると1095時間、じつに45日間の時間を捧げているのだ。
スマホを辞めたら、年間1ヶ月半分の日々が有意義に過ごせる!とは思わないが、この十年ほどでぼくらは「ちいさな画面を見ること」に多くの時間を割くようになったのは確かなことだ。

 スマホの画面で見ることと、生の眼で見ることは、同じようでいて、まったく別の体験のように思える。

 たとえば、ぼくは毎月京都と東京を新幹線で行き来しているが、その車窓から外を眺めるのはひそかな楽しみのひとつである。
マッチ箱のように立ち並ぶ建売住宅、いいぐあいに錆びくたびれた工場、農道にのろのろ走る軽トラック、山のなかのぽつんと一軒家……飛ぶように目の端に流れていく風景をみながら、一瞬にして、そこでどんな人たちがどう暮らしているのか考える。
公園で遊ぶ子を見守るお母さん、立派な瓦葺の屋敷の庭でひとり佇むおじいさん、駐車場の自販機で缶コーヒー片手に一服するお兄さん。ひとりひとりの物語について想像しているうちに、新幹線はあっという間に東京についてしまう。

 映像にせよ、写真にせよ、それをスマホで撮って、あとで見返したとて、おなじように想像をふくらませ遊ぶことはできるだろうか。たぶんできない。やってみるまでもなく、それらはおそろしく「映えない」ものになるだろう。「いいね」も「シェア」もしてもらえない。

 ぼくがラジオを好きで、街の雑踏や、電車で見知らぬ人たちの話し声に、つい耳をすましてしまうのは、その響きや声のしぐさからいろんなことが想像できるからだ。それは往々にして語られたことばの意味よりも味わい深い。

 つぶやきや発音、呼吸、ときには沈黙でさえ、なんて豊かなものを、この世界は用意してくれたのだろうとおもう。

 なんてことのない人間や自然の動作に、赤ん坊がじっと見入って、たのしそうに笑っているように、ぼくもずっと声を聞いていたい。

本とこラジオ

本をめぐって西へ東へ。
2019.12.31 大晦日、
一夜限りのインターネットラジオを配信します。
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