「ちとらや」という実験

数えてみたら、もう三年もやっている。子どもと絵の家「ちとらや」のことだ。

長く続けているわりには、いまだにこの活動をうまく説明できない。
月一度、子どもたちと1、2時間かけて山を歩き、30分ほど絵をかく。山頂でお弁当をたべて、森で遊び、下山する。やることはそれだけ。

この会は、いわゆるお絵かき教室とは異なり、「絵がうまくなる」ことを目的にしていない。それどころか、絵を描きたくないときは描かなくてもいい。絵筆を持たず、ただ森で遊んでいるだけ子もいる。

毎回手を変え品を変え、ゆかいなお題を用意するが、基本的に何を描くか、子どもたちに託されている。大人は一切口出しはしない。
たまに「絵の才能を伸ばしてあげたい」と思ってわが子を連れてくる人もいるが、ぼくの「なにも教えない姿勢」にぽかんとすることになる。

ぼくは講師役を演じない。子どもたちに絵の具や紙を配って、いいね、いいね、もっと描いて!と誉めはやすだけ。お調子者のたいこもちみたい。
それなら、自分の家で描いても同じじゃない? と思う人もあるだろう。でも、ここでしか描けない絵が生まれる瞬間が確かにある。それを目撃したいがためにここまでやってきた気もする。

ちとらやをはじめたのは2014年。

うちの娘は1歳前から、紙を渡すと、何枚でも飽きずに絵をかいていた。しかし、3歳ごろから幼稚園に通いだし、様子が変わった。

紙の上には、女の子、お花、四角と三角の家などが記号的なやり方で描かれ、お日さまがニコニコ顔でこちらを見下ろしている。以前はそんなことなかったのに、白い紙を前にして「○○は描けない」「うまく描けない」と口を尖らせるようになった。

母の日に幼稚園でお母さんの絵を描く時間があったが、娘だけがガンとして絵筆をとらなかったそうだ。

「お母さんはどんな顔している? おめめ、おくち、おみみがあって……よく思い出して描いて、と言ったのだけど、イヤっていうんです。絵が好きではないのかしら?」
担任の先生が困り顔で訴えてくる。

どうであれ、本人がやりたくない時は無理に描かせないでください、とお願いしたが、これはまずいことになってきているぞ、と思いはじめた。

母の日に母親の顔を描いてプレゼントするということが、当たり前に行われているが、ほんとうはそんなもの描かかなくてもいい。

わき目もふらず、野原を一直線に走りきるように一本の線をかく。危なっかしく鉄棒にぶら下がり回るように、ぴゅるんと丸をかく。それこそが日々成長をつづけるいのちの躍動を切り取ったものだ。「表現」なんて言葉を持ち出さずとも、子どもは絵の本質を知っている。

親ならば、子が描いた線一筋のなかに、なにものにもかえられぬ美しさを見いだすことができるはずだ。
絵は、うまい、へたなどという客観的な評価に閉じこめられるものではない。
どんな巨匠が描いた作品でもピンとこないものはピンとこないし、子どもがノートのきれはしに描いたいたずらがきだって、かけがえのない宝物になりうる。
それが「芸術」とよばれるものの本質だし、救いだと思っている。

ある日、娘と一緒に大文字山を山頂まで登った。往復3、4時間はかかる山道で、3歳児にとっては相当ハードだったはずだが、彼女は帰宅するなり、スケッチブックを開き、猛烈ないきおいで絵を描いて描いて描きまくった。

記号化された描き方はどこへやら、線は踊り、色はほとばしり、生身のいのちそのものが、つぎつぎ紙の上に広がり、植物のように伸びていく。山登りを通して、彼女のからだのなかでなにかが動いたのは明らかだった。

それ以来、ぼくは娘と山や森を歩き、絵を描く時間をもつようにした。そのうち興味を持ってくれる他の子どもたちも合流して、毎月定期的に山に登って絵を描く活動「ちとらや」がはじまった。

ふだん、ぼくらは平地に暮らしている。家の中も外もおしなべて平たい。一方、山では道なき道をよろけながら進み、転げ落ちるようにして坂を駆け降る。この足場の不安定がからだに効く。平たい都市生活に馴染んだ体幹が、でこぼこの山を歩いているうちに補正される。子どものからだに潜む本能的な力が、絵に作用している。そのことに気がつくまでに時間はかからなかった。

参加者のなかにMちゃんという小学生一年生の男の子がいる。彼とは三歳ぐらいから、一緒に山を歩き絵を描いてきたが、なかなか用意したお題に沿って描いてはくれない。

「おれ、描くもんきまってん」

が口癖で、来る日も来る日も車の絵ばかり描く。みんなが池の亀や、森の木や鹿を描いていても、彼のスケッチブックにはきまって車が走ってる。

そんなことを一年ほど繰り返して、これでいいのだろうか、と真剣に悩んだ。「車以外も描いてみようよ」「車の絵を描いてもいいから、お題の絵を一枚は描こうよ」彼にどんな言葉を投げかけたらいいのか。

考えあぐねたぼくは、これまでMちゃんが描きためたスケッチブックを改めてはじめからよくよく見返してみた。

すると、驚くべきことがわかった。彼の描く車には、ひとつとして同じ車はないのだ。初夏は青々とした新緑。夏は強い日差しと水辺の光、秋は赤く染まった木葉、やさしい木漏れ日。冬のからからの木々、曇天の雲からさしこむ薄い光。春の花々のむせかえるような艶やかさ……ぼくらが山を歩いて目にした美しさや色や発見が、ひとつひとつの車にぎゅぎゅっとこめられていた。

その日からぼくの迷いはなくなった。どうであれ、子どもが描きたいものを描けばいい。どんなものを描くかではなく、子どもたちが目の前の世界をどう見ているのか。そっちのほうが面白い。

それは時には、絵として描かれないこともあるだろう。だが、絵筆を持たない時間にも、子どもたちはなにかを描いているはずだ。

「ちとらや」は、サンスクリット語のチトラ(絵)とアラヤ(家)をつなげた造語だ。チトラ(絵)はチット(心)とラーガ(旋律)をつなげた言葉とも言われている。

ぼくが子どものとき、絵を描いている時間だけは、見えない家に守られているような、心穏やかな気持ちでいれた。そんな時間をすごすことができたらいいな、という願いをこめて、この名前をつけた。ちとらやの元で描かれた絵に不正解なものは何一つない。

この活動は、ぼくにとっては世界の豊かを実証する実験のようなものだ。

一見、なんでもないようなちいさな事柄が、編み目状になって、いのちのごく深いところでつながっている。

うまくいくこと、いかないこと、まるごとの場で生み出される作品たちは、昨日今日ではとらえることのできない輝きをもっている。もしかすると、子どもたちがおじいさんになって死ぬ直前にならないとわからないようなこともあるかもしれない。

言葉でも絵でも、咀嚼する暇もないスピードで、するすると短絡的に消化されてしまういまの時代に、彼らが描く絵は、飲み込みきれない多くの物語をふくんでいるような気がする。いつの日かみんなで紙の本にまとめてみようと思っている。

何千年も前につくられた神話が、いまも世界中でさまざまにかたちを変えて語り継がれているように、この場所から現代の神話を編んでみたい。

ちとらや

Chitraya

善きものはかたつむりの歩みで進む
あせらず、ゆっくり、できることから――
子どもと絵の家「ちとらや」