おかえり

 うちの娘(8歳)は「男はつらいよ」が好きである。いや、ただしくは車寅次郎を愛している。

 

 いま住んでいる家はアンテナとテレビがつながっていないが、まだ娘が2、3歳だったころは、団地住まいで地上波とBSがみれた。

 ある年、BSのチャンネルで「土曜は寅さん」と題して、毎週末「男はつらいよ」を放送していた。ぼくも妻も娘にはあまりテレビを見せてこなかったが、寅さんは別格。土曜日の晩、家族三人でテレビを囲むのが定番になった。

 ふり返って考えると、これがまずかった。生まれたてのひよこが最初にみたものを親と思いこむように、娘は車寅次郎を初恋の男として認識してしまったのだ。

 娘はテレビに渥美清が映ると画面にぶちゅーとキスをする。

 画用紙とクレヨンで「男はつらいよ」の紙芝居を自作する。それも、夢のシーンからはじまり、旅先で美人のヒロインと出会い、柴又に帰ってきて、おいちゃんたちと喧嘩して家をとびだして、妹のさくらが「いかないでお兄ちゃん」と駅までおっかけてくる……という物語の定石がちゃんと再現されている。

 家族で鳥取砂丘にいったときは、何度も「男はつらいよごっこ」がくりひろげられた。もちろん娘の役は寅さん。ぼくは砂にまみれながら、砂丘を転げた。

 幼稚園で先生が子どもたちに「好きなものはなんですか?」ときいたとき、他の子が「プリキュア!」「ワンワン!」などというなか、うちの娘は迷いもせず「寅さん!」と答えたそうだ。園児たちはもちろん、若い先生はぽかん。
「動物のトラが好きなの? しまじろうではなく?」
と先生に聞かれ、
「寅さんは寅さんでしょ!」
とご立腹の娘。彼女にとって、寅さんはまぎれもない永遠のアイドルなのだ。

 BSの放送が終わってからは、録画した全49作を何周もくり返し見る日々が続いた。

 しかし、「男はつらいよ」ばかり見せているのはよくない、と思ったぼくは、マキノ雅弘監督の名作「次郎長三国志」シリーズを娘と一緒に見た。渡世人・寅さんがなぜあんな生き方、立ちふる舞いをしているのか、そのルーツともいえる次郎長一家の物語は「男はつらいよ」の次に見るべき映画だと思ったからだ。

 はじめは白黒映画に
「なんで色ついてないの?」
といっていた娘だったが、一本見終わるころには、次郎長とそのゆかいな仲間たちが奮闘する旅股任侠活劇にすっかりはまり、テレビをつけるたび、寅さんと次郎長を交互に見たいとねだる三歳児になってしまった。

 彼女のお気に入りは森繁久彌演じる森の石松。幼稚園の園庭の砂場で
「バカは~しななきゃなおらない~♪」
と浪曲師・広沢虎造のだみ声を真似して遊ぶ姿に、先生たちはさらに心配したことだろう。

 そんな彼女に一世一代というべき晴れ舞台がまわってくる。友人の結婚で沖縄に招かれたとき、式の余興として「男はつらいよ」の口上と歌を披露することになったのだ。

 せっかくだから、帽子やカバンを用意して寅さんの姿でやったら?とぼくが提案すると、彼女はぶんぶんと頭をふった。

 「恥ずかしくてできない」

 たくさんの人の前でやるから恥ずかしいのかと思ったら、そうではない。彼女にとって寅さんは実在の人物でいまも日本全国を旅している。結婚式場に旅の途中の寅さんが立ち寄ることがあるかもしれない。自分の姿を本物の寅さんに見られたら恥ずかしい、というのだ。

 ぼくは娘の寅さんへのまっすぐすぎる愛に脱帽した。

 それ以来、わが家では車寅次郎が実在するか否かは、サンタクロースよりもセンシティブな話題となった。

 

 じつは、ぼくも個人的に「男はつらいよ」には少なからぬご縁と親近感をかんじてきた。

 

 「男はつらいよ」誕生秘話には諸説あるが、当初、山田洋次監督は物語の舞台をどこにするか選びあぐねていた。

 だが、かつて彼がつくった映画「下町の太陽」の原作者である作家・早乙女勝元さんに、柴又帝釈天やだんご屋を案内してもらい、いろいろな下町話を聞いたことを思い出し、舞台を柴又に決定したそうだ。

 柴又の町を歩きながら二人がどんな話をしたのかは、いまとなってはわからない。だが、だんご屋の隣に活版印刷所があり、隣人のタコ社長が勝手口から毎日やってくるという設定も、このとき生み出されたのでは、とぼくは想像している。

 世間ではほとんど知られていないことだが、早乙女さんの義理の父は横浜の印刷所、野毛印刷の社長である。この人は戦中一旗あげるべく単身大陸に渡り、戦後シベリア抑留を経て帰国、社会主義にかぶれたアカと揶揄されながらも、類い希なる商才を発揮し一代にして印刷所を興した。とても博学で先進的、親戚一同からは「山の叔父さん」と呼ばれ尊敬されていた。

 それだけの反骨精神とバイタリティで戦中戦後を生きぬいた山の叔父さんのことを、早乙女さんが山田監督に話さないということは考えづらい。映画のなかで、タコ社長はデリカシーがなく、すぐのぼせあがる零細町工場のオヤジというキャラクターになってはいるが、もしかするとその着想のもとは野毛印刷の社長だったかもしれない。

 なんでそんな細かい裏話を持ち出したかというと、じつはこの野毛印刷社長はぼくの祖母のいとこなのである。

 遠い親戚とはいえ、子どものころ祖母につれられ墓参りにいくと、曾祖父母や先祖代々の墓のあと、野毛印刷社長の墓にかならず連れて行かれた。

 「山の叔父さんはほんとうに頭の良い人だったから、タモちゃんもあやかりなさい」

 墓前で祖母はいつも線香の煙を手でふわふわとぼくの頭に送ってくれた。
大人になって、早乙女さんと山田監督の話を知ってからというもの、タコ社長やその印刷所をみるたびに、ぼくの先祖と寅さんの物語はつながっているかもしれない、と勝手に胸の奥を温めていた。

 

 さて、前置きがやたらながくなったが、ここからが本題。

 2019年の年末、「男はつらいよ」の新作が公開された。49作目で終わったはずのシリーズが22年ぶりに復活するのだから、ファンとしては喜ばずにはいられないニュースだが、ぼくは微妙な気持ちでいた。

 渥美清さん亡きいま、寅さんの不在はどう描かれるのか。ぼくも妻も、渥美清が亡くなったことは娘にずっと言えないでいる。だからどんなにせがまれても、実際に柴又を訪れることだけは避けてきた。
50作目のサブタイトルは「おかえり、寅さん」。4Kデジタルリマスターした過去の映像を交え、現代を生きるさくらや満男のその後を描いた作品だという。

 万が一、劇中で仏壇に寅さんの遺影があったり、あんないい人だったのに死んじゃったね、みたいなシーンがあったらヒジョーにまずい。

 なにせテレビ版「男はつらいよ」最終回では、ハブに噛ませ寅次郎を死なせた山田洋次監督だ。なにをしでかすかわからない。妻と協議した結果、まず、ぼくひとりで観て確認した上で娘を連れて行こう、ということになった。

 2020年1月1日元旦、映画館へ向かう。

 「男はつらいよ」はかつて日本のお正月映画の定番。今回の新作を見るならばぜったい元旦だ、と心に決めていた。客席は満席ではないが、50~70歳代を中心に8割ほど埋まっている。

 映画がはじまり、松竹の富士山がスクリーンに映し出された時点で、不覚にもうるっとしてしまった。松竹配給の日本映画を映画館でみるなんて、いつぶりだろう。

 オープニングでおなじみのテーマ曲を河原の土手で桑田佳祐が歌う。なんでこいつが……と思いながらも、スクリーンに大映しになった寅さんを見た瞬間、涙がどわっとあふれてしまった。まだ物語ははじまってもないのに。

 その後はもうだだ漏れ。懐かしい人たちがつぎつぎとスクリーンに現れ、くるまやの居間に集まり、寅さんの思い出話をする。

 この映画をはじめて見た人が楽しめる内容かはわからない。それでも、49作をくり返し見てきた者にとっては、盆暮れが同時にきたようなうれしいシーンの大盤振る舞い。財布を逆さにふってもなんもでねえが、涙と鼻水は売るほどあるんだぜ、とよくわからないことを口走ってしまうほど、泣き、笑い、震える。

 CG合成で幽霊のように寅さんが浮かんだり消えたりするシーンはちょっとやりすぎだと思ったが、さくらはいつ兄が帰ってきてもいいように、二階を片付けている、とつぶやく。だれも寅さんが死んだとはいわない。ほっとした。これならば、わが娘にもみせられる。

  「おかえり、寅さん」。これは再会と不在の物語だ。

 20年以上の時を経て、家族や仲間が再会し集まって、団欒をかこむ。最初はしわしわに老けたなぁと思って見ていた登場人物たちが、若いときの口調に戻っていく。小学校の同級生に会うと、当時の歳に戻ってしまうような、あの感覚にも似ている。

 そこには不在の人もいる。おいちゃん、おばちゃんは仏壇の額縁のなかで微笑んでいるし、かのタコ社長はあがりかまちに腰かけてはいない。

 だが、不在の人たちがいいそうな台詞を、生きているほかの人たちが無意識に口にする。タコ社長の娘のアケミちゃんは、タコばりにデリカシーなくのぼせあがるし、妻思いだったひろしがおいちゃんのようなふてぶてしさを見せる。さくらはおばちゃんのようにいつも夕食や布団のことを気にしている。満男は寅さんだったらどうするかということを考えているし、その一人娘ゆりちゃんは、寅さんをやさしくたしなめる若いころのさくらそっくりだ。

 死者たちは不在なのではなく、生者たちのなかに生きている。むしろ、死者たちが大小のかけらとなって、生者をかたちづくっているといってもいい。AIでもCGでもなく、生者たちの口から語られるからこそ意味がある。

 

 それは昨年11月に母を亡くしたぼくには、切実でリアルな感覚として、ずんずんと胸に迫ってきた。
母とぼくの娘はまるで鏡のようだ。

 のりものにのるとおしゃべりになるところ。買い物好きでいつも誰かにプレゼントするものを探しているところ。いったん思いこむとまわりの声が耳にはいらなくなるところ。だれとでもすぐ友だちになってしまうところ。……親子であるぼくよりも、祖母と孫である娘のほうが性格が似ている。

 いまも、娘が話すことばや、しぐさ、ちょっとしたリアクションから、亡き母を思い出すことがよくある。

 おおきな事件は起きない。はり巡らされた伏線もない。たんたんとみなが寅さんについて思い出話をする。それだけなのに、映画館から家にむかう帰り道、胸がぽかぽかする。ふしぎな作品だ。
「おかえり、寅さん」という副題のとおり、22年間、寅さんはスクリーンに不在だった。しかしそれは煙のように消えてなくなったわけではなく、ぼくら自身が見失っていただけだ。

 そういえば、娘が3、4歳のころ、鴨川の河川敷で寅さんの後ろ姿をみかけた、といっていた。

 いまもあらゆる町角に、河原の土手に、縁日の神社に、駅のホームに、寅さんはいる。もう一度それを見つけるためにも、また過去49作品を親子で見返そうと思った。

 これはまったくの余談だが、この「男はつらいよ」第50作目の劇中、個人的に震えまくった箇所がある。

 小説家になった満男が書店でサイン会をするシーン。ロケ場所は八重洲ブックセンター。ここで多くの観客は、満男とかつての初恋相手・泉ちゃんの再会に固唾をのむとおもうが、ぼくの目はその背後の書棚に釘づけになった。自分が装丁して文章も書いた本が映っている! 驚きのあまり気が動転して、すこしの間ストーリーがまったく頭に入らなくなった。

 物語とはまったく関係がないし、カメラのピントがばっちり合っているわけではないのだが、大好きな映画のなかに、自分がつくった本が存在しているなんて光栄の至りである。(どの本なのかはここで書かない。ぜひ劇場の大画面で確認してほしい)

 ありがとう八重洲ブックセンター! ありがとう山田洋次監督!

 元旦からすばらしいお年玉をもらいました。