美しいってなんだろう

 去年、『文化人類学の思考法』という本の刊行イベントがきっかけになって、京都の学術出版社、世界思想社の望月さんから「インドの美を語るフォトエッセイを書きませんか」と依頼をいただいた。世界思想社というとお堅い出版社のイメージだったけれど、もうすこしやわらかいところで「せかいしそう」という新しいWEBマガジンをはじめるから、そこに掲載してくれるのだという。

 インドの話はいくらでもできるし、へんてこな写真もいろいろあるにはあるが、あちこちに書き下ろし本の原稿をおまたせしているぼくとしては、ほいほいと依頼をうけるわけにはいかない。何人もの編集者の顔が思い浮かんで、はじめはお断りしようと思っていた。しかし、「気分転換にどうですか?」と連載をすすめてくる望月さんと話しているうちに、写真メインで1000字くらいの短文ならばやれる気がしてきた。

 トークイベントや書店で自分のことを話してきたが、思い出話ではなく、いま直面している問題や関心事や、思い浮かんだ風景をぱっと書きとどめておく場所があったらいい。それもぼくのひとり語りではなく、8歳の娘もまきこんで、対話のような、往復書簡のような連載はできないだろうか。企画はころころ転がり、気がついたら連載をやることになった。

 「美しいってなんだろう?」というタイトルはすぐに浮かんだ。
平野甲賀さんのパートナーの公子さんが「わたしたちはどんな本も催しものも、しっくりくるタイトルが決まって、甲賀さんが字をつくれば、もうできたも同然って気になるのよ」と、言っていたのを思い出した。
ここでどんなものを書いたらいいのかはわからない。でも、序文の第0回の文章にあるように、「流れゆく雲のようにあてどもないものを書こう」と思っている。ぼくの文章に娘がどのような感想やつぶやきを寄せるかも、はじめてのことでドキドキである。

 

 つねにストックのある状態ではじめたいから、原稿は夏ごろからすこしずつ書き始めた。第1回はネパールの話にしようとなんとなく決めていたので、横浜の実家に連絡して、母に昔の写真を送ってもらった。10月、ワークショップや出張の合間をぬって、ちくちく原稿を書いた。8割方できあがって、あとはざっと直して、すぐ編集部におくるつもりでいた。

 高松の瀬戸内アートブックフェアでの出展を終えて京都に戻ってきた翌日。借りていたレンタカーを返す途中、追突事故にあった。ぼくの車は完全に停止していたのだが、後ろからきたトラックが止まりきれずドーンとぶつかったのだ。警察や保険会社、レンタカー屋などと話しているときはハイで分らなかったが、帰宅すると首背中腰が鉄板を背負ったみたいに重く痛い。ムチウチみたい。その日はすぐ寝て、翌日もしんどくて昼近くまで横になっていた。まどろみのなか、電話がバイブモードで何回か鳴っている。とれないままでいると、そのあと妻のところにもかかってきて、すぐ起こされた。電話はインドの友人からで、今日の朝ぼくの母が倒れたという報せだった。

 それからの日々は断片的にしか思い出せない。まず、ぼくと兄がインドに飛び、遅れてぼくの家族、兄の家族も来た。いくつか回復のチャンスもあったが、いろんな条件が許さず、母は11月8日に息をひきとった。ヒンドゥー式の火葬で荼毘に伏し、母の荷物を整理して、面倒な手続きをして遺骨を日本に持ち持ち帰るまで1カ月がかかった。ずっと長い夢を見ているようだった。

 日本に帰ってきて、ぼんやりとした日々をおくっていたが、なんとか「美しいってなんだろう?」の第1回を書き上げようと何度もパソコンを開いた。
はじめて訪れたカトマンドゥのことを書こうと思っているのに、母のことに話が寄っていってしまう。1行書いてはいろいろなことを思いだし、1行消して、また1行書いて……文章はまったく進まなかった。母についてはエピソードがあまりにも多すぎる。追悼文のようなものも書く気にはなれない。悩んだ末、大筋は彼女が亡くなる前にぼくが書いていた文章をそのまま使うことにした。語りきれていない気持ちはあるが、たぶんいまは、どんなに書き直しても納得いく文章にはならないだろう。

 娘はぼくの原稿を読んで、すてきなコメントを返してくれた。あかねさん(ぼくの母)のことは書かないの? と聞いたら、「みじかくは書けないし、何日かかるかわからないから」と娘。ぼくもおなじ気持ちだよ、といった。
娘は母が亡くなった後すぐに、インドの家で風邪をひいて寝こんでいたのだが、熱が下がりはじめると寝床に寝転がったまま、猛然としたイキオイで日記を書いていた。書いては消し、消しては書いて、三日後、日記帳をぼくに見せてくれた。そこには自分が祖母の報せを聞いて、インドにきて、病院に見舞い、お別れをして、火葬されるまでの数日間のことが、彼女の目線で、静かに素直に書かれていた。祈りに満ちたすばらしい文章だった。

 母が亡くなったことをずっとWEBでは書いてこなかった。なぜか書けなかった。仕事や付き合いの上、告げる必要があるごくわずかな人にしか、まだ知らせていない。失礼があったかもしれないけれど、どうか怒らないでほしい。これについては、ゆっくりやっていこうとおもう。
日本では葬式を行わないので、母が最後に仕入れていたものを並べて、お別れ会を実家のお店でやろうと思っている。お客さんにはそれぞれ手紙でお知らせするつもりでいる。

 おもいがけず、「美しいってなんだろう?」のスタートはこんなふうにはじまった。
いろんな気持ちがいったりきたりする第1回となったが、読者から嬉しい感想が届いて、しんどかったけど書いてよかったなあ、とおもっている。素焼きの広場の写真は当時のぼくが撮ったもの、バングル屋の写真は一昨年バンガロールに来てくれた三輪舎の中岡さんが撮ったもの。後者の写真も後ろ姿だか母が写っている。
毎回の原稿料は山分けすることにしたので、娘はほくほくだ。「学校行っていないけど、原稿書いてるんだから!」と鼻の穴をふくらましている。
これからも月1回、まぶたの表と裏を行き来しながら、いくつもの窓を開け、娘とともに美しい風景を見つめていきたい。


美しいってなんだろう

web せかいしそう

第0回 美しき「問いかけ」 2019.10.18
第1回 美しき「カトマンドゥ」 2020.1.31

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