さらに推薦コメントが届きました。読んだあとの思いそのままに、熱風を感じるコメントぞろいです。

まるで人類の歴史の断面ををズームで覗き込んだかのような気がする本だ。
「学校」のない時代から人類は、歌い、祈り、絵を描き、文を書き、そしていたずらをした。また火に慄きながら、それでこねた土や草を焼き、料理を作り、そして死者を焼いた。
インドであれ極東の島国であれ、連綿と続いてきたそんな営みが、驚くべきことにこの多聞さんの本にはすべて詰まっている。このIT時代に! そして「美しさ」とはそのような暮らしの中にこそ宿るものであることを、著者は心を尽くして語ろうとする。
最後のところ、人類史の最も新しい時間を生きる娘・つたさんが書いたおばあさんに宛てた手紙は「悲しんでも、悲しみきれない」命の歴史そのものの力が宿った言葉として胸に響く。
田中典晶(本屋UNLEARN)

福山の本屋さんUNLEARN・田中さん。店名にもなっている「UNLEARN(アンラーン)」とは、鶴見俊輔さんがアメリカでヘレン・ケラーに出会ったとき耳にしたことばで、「学びをほぐす」という意味だそうです。まさに、『美しいってなんだろう?』の執筆は、自分のなか、娘のなかにふりつもったものをほぐしながら、文章にしていく作業でした。

二十歳を少し過ぎた頃だろうか。初めて行った北インドで身も心もボロボロになり、カレーも嫌で嫌でフルーツばかり食べていた。数十年経って、日本でもスパイスカレーを食べるようになった今、そっと思い出すのは、チャーイの素焼きの陶器を投げて割って土に返したこと。高級卵の黄身のような色をした夕焼けの太陽。リキシャーの運転手の細くて牛坊のような脚。開け放たれた列車の窓ではためくサリー。いつだって、どこを読んでも、多聞さんの言葉は丸くてやさしい。表現がふくよかで、心にそっと種をまき、いつか小さな花を咲させるような言葉だ。読んでいるうちに自分だけのインドの美が蘇った。その美しさは、目をそらしたくなるくらい軽薄で薄汚いものも内包している。すべての色が混ざり合ったようなマーブル模様のような。そう、美しさってなんだろう?
読み進めているうちに、つたちゃんの言葉に立ち止まることが多くなる。目が離せなくなる。感情の揺れのままにネイキッドに放たれる言葉たちは、どんどん大人びてくる。生まれてくる言葉を作為無しにそのまま載せることは意外に難しい。大人になると余計に難しい。だからこそ、つたちゃんの言葉をそのまま載せたこの本は正しい。そして時折、多聞さんの言葉なんじゃないかと錯覚するほど、パンチラインが飛び出すから不思議だ。そうだ、彼女も本の中でぐんぐんと成長しているんだ。お母さんから受け取ったバトンが、多聞さん自身を透過して、つたちゃんに手渡されていくのを確かに感じる。混じり合って大きな川になるように。それは、なんてすばらしいことだろう。なんて美しいことだろう。
加藤直徳(編集者)

ものすごい熱量で長いテキストを送ってくれた加藤さん。彼はNEUTRALやTRANSITなどの雑誌を経て、NEUTRAL COLOR(ニュートラル・カラー)という半分手づくりのものすごい雑誌を現在進行形でつくりつづけています。ぼくも第2号「学校特集」に寄稿をしていて、『美しいってなんだろう?』の「ことば」の章でふれた、与謝の海支援学校について写真家の吉田亮人さんとともに取材し、ルポにまとめ、掲載しました。そうそう、娘のつたもおなじ号に自分が行きたい学校のことを絵と文で書いています。興味のある方はぜひこちらも見てみてください。

楽しいことや安心だけではなく、苛立ちや苦しみや悲しみもいびつさも美しい。多聞さんの祖父母や両親から、多聞さんからつたさんへ、つたさんから多聞さんへ、美しさはどんどん伝染して、ぐるんぐるん渦巻いてる。じわじわと私にも巻きついて、心が喜び出した!“感じる”ことそのものが、美しいことだよって!
ミロコマチコ(絵本作家)

ぼくも娘も大好きな絵本作家ミロコマチコさん。彼女とはいろいろな本の装丁でお世話になっているのですが、数年前、たまたまフィンランドでばったり会って、ぼくと妻と娘とミロコさんの四人で夜の遊園地で遊びました。あれは夢のような時間だったなぁ。彼女はいま奄美大島に暮らしていて、すばらしい土着の絵をどんどん生み出しています。そんな奄美から届いたぴかぴかのコメント。娘とふたりでわぁ!と喜びました。

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矢萩多聞の本『美しいってなんだろう?』と『本とはたらくに関するお知らせやイベントなどの情報を書き込んでいくログです。

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